甲子園への遺言

副題は「伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯」。現役時代は怪我に泣いたが、卓抜した技術論と指導力で30年間にわたりプロの打撃コーチとして多くの選手を育て上げる。指導は理論の押しつけでなく手持ちの多くの「引き出し」から選手の個性にあった方法を見つけ出しまさに二人三脚で最後まで取り組む。テクニカルには相手投手のクセを見抜く諜報戦の第一人者でもあった。50代後半に一念発起して教員免除を取得するが、教師として一年勤め、高校野球の指導者として解禁される直前に病魔に倒れる、彼を慕う選手、生徒多数。まさに人柄と人徳。常に誠心誠意相手の立場で問題に正面から向き合う姿勢。棺に納められたのは福岡筑紫台高校のユヌフォーム。

「覚悟に勝る決断無し」
「無念。もしもの時、取り乱すまいぞ」(ガン告知を受けて)

「コーチは迷いとの闘い、勇気がいる。50%の成功の確率があるならやった方がいい」
「欠点を直すことはできない。長所を伸ばして欠点を意識させなくする」

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯

甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯