そこそこやるか、そこまでやるか

秀岳館高校をわずか三年で全国ベスト4まで導いた鍛治舎監督の自伝。県岐阜商から早大ではスター選手。ドラフトを拒否して松下電器へ。人事畑での仕事が評価され専務まで昇進。長年の夢であった高校野球の監督へ華麗な転身をとげる。リーダーとして大事にしてきたのは言葉。熱い思いをいかに伝えるかに腐心する。大阪第二代表と地元で揶揄されたが、実績で空気を一変させる。満足できた内容。

  • 空は曇っていても太陽がなくなったわけではない。
  • 上に立つより役にたつ